僕の私のコンプレックス談義2017
コンプレックスってあります?ありますよね。
そもそもコンプレックスとはなんぞや
めっちゃ小難しいこと書いてあるやんけ…
日本では今なお、「コンプレックス」と言えば、暗黙に「劣等コンプレックス」のことを指す傾向がある。さらに、精神分析の用語から離れて、「コンプレックス」を「劣等感」の同義語とするような誤用も生まれ、今に至っている。
まぁ言語によって言葉の意味が変わるなんて良くあることです。原理主義者は古典文法使ってろって話よな。 ここでは「劣等感」としましょう。
今回はコンプレックスを書きなぐることで供養してあげようという回です。共感するもよし、笑い飛ばすもよし、好きにやってください。
天パ
中学でスチールウールを燃やして酸化を観測する実験やりました?あのスチールウール、実は僕の天パですからね。
どうして中学生って生き物はこんなにも残酷なのでしょうか。中学教師になりたいって人はこういう少なくともこういう経験が無かったのだろうなと邪推してます。寧ろやってた側でしょう。いつかスクラップアンドスクラップにしてやる。
今はもう供養されているコンプレックスです。一時期は縮毛矯正かけたりもしましたが、殺すのではなく共存していく道を選んでいます。
低身長
「身長小さいふうに見えなーい」。この言葉に励まされちゃいけません。決して、「ま、顔が小さいから相対的にそうなんじゃん?」とか思ってはいけないのです。 周りにはめちゃくちゃオシャレな低身長(失礼)がいるし、圧倒的な弟キャラでモテているやつもいた(僕は老け顔だけど) それにhydeはこんなにかっこいいじゃないか。いつしか供養されていました。
「男にとっての身長=女にとっての胸囲」でFA。話題に触れぬが吉、自ら言わぬが吉です。
芸術
特に絵でも立体物でも、ちょっと高尚めな現代アート的なものです。 何がコンプレックスなのかというと、「芸術わからないコンプレックス」です。 言い換えれば、「芸術感じられないコンプレックス」。 根っから意味を求めてしまう人間なので、ざっくり感じるということが出来ないのです。
自分にとって一番分かりやすい絵っていうのは、小・中学生の頃に描く象形文字みたいな奴なんですよね(川の絵を三本書いて川って字を作るようなアレです。僕は墓石と火の玉で「幽」って字を描きました。不謹慎!!)
対して、美術館に展示されている作品って、よくわからない布に、よくわからないワイヤーと木の棒が突き刺さって何か立体物を構成しているんですけど、タイトルが「燕」だったりするじゃないですか。隣のよく似た作品が「雀」だったりしますよね。 キュレーターさんに対して、「どの辺がツバメなんですか。羽ってこの辺ですか。」って聞いて良いんですか。
もちろんこんな僕でも意味が分かるものは印象に残るし、感銘を受けます。でもきっとこれは解釈出来るから好きなのであって、芸術好きな人の言う、「絵っていうのは感じる物だよ」とは違う気がするのです。
例えばこれなんかはとても好きです。ネズミの死骸が積まれた周りを穏やかに眠っているネコがぐるぐる回っていて、機械音込みで見るものを奇妙な感覚にさせます。「穏やかなネコ」と、「ネズミの死骸」は何かのメタファーとも考えられます。youtube探したらあるもんですね。
メッセージ性の強い作品ほど、受け手の芸術リテラシーが要らないし、芸術性の高い作品ほど、受け手に芸術リテラシーが求められているような気がするんですよね。
昔の著名な画家によくある、あの時代にあの手法で絵を描いたから評価されたって言うほうが、納得できますね。何故なら当時評価された理由と歴史があるから。まぁ受け手にとっては手法なんかどうでもよい気がしますが。
これは本当に皮肉ではなく、羨ましい!俺も感じたい!という感情のほうが強いです。誰か教えてください。 まだ供養されてませんが、なんとなく岡本太郎辺りが供養してくれそうな気がしてます。
写真も分かる分からないありますが、ここはまた別枠です。余談ですが、カメラは現実を切り取るモノみたいな文句そろそろやめませんか。
海外
海外行ったことないです。飛行機も成人して初めて乗りました。前の会社の同期に、30歳まで乗らなかったら逆に面白いのでは??と自虐的に提案したらマジで興味ないっすみたいな反応でした。辛い。 この時期JALとかANAが、「今年のGWは○○連休!!早めに予約してお得に海外へ!!」ってキャンペーンやってるけど、対象は俺じゃねんだろなって思う程度にはこじらせてる。
そもそもどのタイミングで海外旅行行こうってなるの?北海道も沖縄も行ったし国内はもういいかな〜って感じで海外に行くの?自惚れてんすか?小さいころから行ってる人は親に感謝しましょう。 俺も、「英語?あぁ、意外となんとかなるよ」って言いたいし、電車の乗り換えとか水回りで困ったって言いたい。やっぱり日本が最高だよって言いたい。
そんな関係ないけど、洋画の俳優がマジで覚えられないコンプレックスもあります。
供養されてないけど、こんなもんはゼロイチなので金と時間があったら行けば済むことです。根深いコンプレックスが次です。
大学
もうどうしようもないコンプレックスなので内面を変えるしかないです。僕の最終学歴は高専ですが、もちろんこれは高専に不満があるわけではなく、只々漠然とした大学生活への憧れです。よく大学生活は人生の夏休みと例えられますが、=責任の不在、のような気がします。頭までぬるま湯に浸かったような状態で、自分が何者なのか、何が出来るのか、何になりたいのか、はたまた自由になったのだから何でも出来る!と思っているのか。その中に僕は何故いないのか。もう完全に美化されてます。
「げんしけん」や「もやしもん」を読んだ感想が、「大学生活へ憧れが強くなりましたまる」って奴は大体友達になれる自信がある。インカレやゼミ、追いコンという響きは何故こんなに魅力的に聞こえるのだろう。
嫌いとコンプレックスは区別して然るべきですが、これは間違いなくコンプレックスです。嫌いも混じりますけど、頑張って受験勉強して入学していることを知っているから、どうにも自分の中に落とし込めないのです。この時期ニトリや東京インテリア行くと、新生活用品を買いに来ている家族が沢山いて泣きそうになります。 もう憧れが強すぎて、実際大学に入ったら幻滅して大学燃やしてそのまま割腹して死ぬんじゃないかっていう。
種類
ざっと思いつくものを並べてみました。ざっくり大別すると3種類だと思います。
- 身体的
- 精神的
- 体験
身体の悩みは自分や周囲の精神年齢が上がっていくことで小さくなっていきます。 精神は内面や知識を磨くことで小さくなっていきます。 体験は0と1です。精神的なタガのようなものでしょう。
総評
思いつくもの5個、並び立ててみましたが、正直どうでもいいよって思うのならそれは正しいと思います。コンプレックスなんて他人から見たら、本当に本当にどうでもいいものだと思います。自分で掘った暗く深い穴のようなもので、しかも底には何もない。幸せに生きようとしたらわざわざそんなもの抱えて生きてくことは無いのですが、それでも僕はコンプレックスがある・あった人のほうが好きだし、人間性も合う気がします。酒の席でそんな話をするのが大好きです。
巷に出回る本や、記事を見ると、幸福至上主義的価値観が蔓延しているように感じます。幸せになりたいし、成功したいし、得したい。 そういうステージからせーので降りることは出来ないものでしょうか。
カフカやピロウズ、大槻ケンヂが時代を超えて突き刺さるのは、そんなものを飛び越えて、コンプレックスを舞台に上げた痛快さだと思わずにはいられないのです。