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超いい人になれない

無自覚にせよなんにせよ、「超いい人」というのは世にいる。大体50人に一人くらいはいる。

いい人、というのは、「都合のいい人」のように描かれることも多いが、それを超越して超いい人

例えば、無自覚に場を和ませたり、害を一欠片も感じさせなかったり、飲み会では率先して幹事をやったりする人が周りに一人ぐらいはいると思う。これが博愛主義的なのか、利己主義的に行っているものかは分からないが(両タイプいる)、何にせよ、俺はどうしてもそれになれない。憧れもするし、トータル賢いとも思うし、単に超いいやつじゃんとも思うが、一方で、それにはなれないという絶対的な自覚、言ってしまえば呪いがかかっている。ほんと、くだらないのも自覚済だし、解呪されるかなと思い文章書いてみる。

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超いい人

いると思う。先に述べたとおり、「持ち前の純粋さ」で無自覚に場を和ませたり、飲み会では率先して幹事をやったり(おこぼれを預かりながらも自分が一番得するようなことはしないような)する人や、その人の評価を他人から聞けば、「超いい人」、そしてそれに賛同せざるを得ない人というのが、20年ぐらい生きていれば誰だって思い浮かぶはずだ。

やや偏見のある言い回しをしたが、この人が損得勘定で動いているかどうかは別として、俺はこれになれないという自覚がある。それは所詮は人であるという不信感であったり、無自覚さ(わかんねぇけど無邪気とか、天然とか言い換えてもいいんじゃね、知らんけど)が自分とは軸がずれていたり、トータル得じゃん(a.k.a.誰も損してないじゃん)という利己主義自己犠牲プレイヤー(苦手なタイプ)がその辺に属しているというのも大いに関係している。人の機微に疎かったり、立ち回る力がクソ雑魚というのもある。

ただ根本の原因は、中学生の頃に植え付けられたクソみたいな呪いのようなものだと思っている。

呪い

中学の頃に植え付けられた呪いが2つあると思っていて、1つは、

「大人になろうぜ」

もう1つは、

「背中で語るやつが一番かっこいい」

である。

前者は、中学生の想像する大人なんてのは反抗期を終えた高校生までせいぜいなので、大抵はろくなことにならない。 群れないこと、自分で何もかも(中高の何もかもというのは、その時々の世界において、であるが)を選択することが大人だと言い聞かせられた。

今考えてみれば、行動こそかっこいいのかもしれないが、大人になりたい、という衝動の下に行動したそれはかっこよくなんてなかった。色んな人に迷惑をかけた。

で、後者の「背中で語るやつが一番かっこいい」が今回のテーマとする呪いである。

背中で語るやつが一番かっこいい

きっかけは覚えていないが、多くは語らず、行動で示す、表現するというのが一番かっこいいという思想にどこかでなった。めんどくせぇが口癖の奴らに、物言うわけでなく、「俺は真面目にやるけどね」というスタンスを貫いた(めんどくさいと思ってたのに)。部活動でも、もくもくと練習する寡黙な人を気取った(よくサボっていたのに)。

ようは、どうあれ、行動した人が一番偉いという思想になっていた。

それで言いたいことは伝わるのだと信じていた。

結果、ある程度の成果はあった。思ったとおり、物言わぬ行動は雄弁に俺の意見を語っていたと思う、そういう評価も受けた。でもなりたかったのは違った。

本当は誰よりも言葉を発したいし、語りたいし、口下手でも対話をすることで微妙なニュアンスまですべて受け取りたい、受け取って欲しい、密度の高いコミュニケーションをしたいのが人間だと思う、意外かもしれないが自分はそんなタイプである。

未だにこの思想には引っ張られることが多く、物言わず行動したやつが一番偉い、のような思想がある。よく考えてみれば、物言うことも一つの行動だ。ただ、やってみて分かることのほうが貴重な意見というのは間違いない。

で、それが何にかかってくるのかと言うと、超いい人・背中で語る人間の違いと、天の邪鬼な性質が関わってくる。「超いい人」と、「背中で語るやつ」というのは根本の行動の思想は似てるようでいて、大きな違いが一つあって、それは評価のされかただと思う。

先に述べたとおり、というかそのまんまだけど超いい人は超いい人って評価される。それに多少のブレはあれど、軸は一緒だと思う。

一方で背中で語るやつはそのまんまの評価はされない。寡黙だけどいい人なのかもしれないし、何考えているか分からない人であったり、もしかしたら評価される土俵にすら上げてもらえないかもしれない。求めている評価と変わってくる。

これに天の邪鬼な性質が合わさると、「俺はそんなわかりやすい評価はいらねぇ」「分かる人にだけ分かればいい」に変質する。行動が伴っていなければただの頑固クソ野郎だ。


以前書いたが、俺がしたいのは、「『素直に』楽しんだもの勝ち」なので、こんな考えはホントいらなくて、行動を100として伝えたときに返ってきた20を愛でるのではなく、行動と言葉を伴って100で伝えて、80返ってきたらそれが最高としたい。多分その前者の20にももっと伝わると思う。

この考えを捨てたことで超いい人になれるかというと怪しいけど、じぶんを100伝える努力や工夫はしていきたいですね。

主題とそれてるしまとまりも無いけど、解呪された気がするのでおわり。

まぁなんだかんだ言っても育ってきた環境が違うからやれるだけ頑張ってみるに尽きますね。