予防線

予防線が見えなくなるまでつづける

ぼくたちはその社会においてどこまでSNSをオープンにするのか問題

とうとつに思ったので書いてみる。お得意の根暗言い訳芸。

多分、結論は「オープンにしたほうが気持ちよく生きれる」 、もっと言うならは、「オープンにしても問題ないマインドセットを持つ」的なことなんだと思いますが、そうもいかないし、個人にどこまで求めるかという線引きが不明瞭なのはやはりクソとしかいいようがない。そういうところが所詮人であり僕な訳です。

社会っていうのは、学校だったり、サークルだったり、会社だったり、何かの界隈だったり、所属する組織に置き換えてOKで、組織におけるソーシャルアカウントの立ち位置みたいな話。

とりわけ、僕の所属するいまのせまいIT業界では会社よりも「自分」の経歴がブランドになるわけで、課外活動とブランディングを紐付けるものが必要になってくるのでみんなツイッタやらはてなブログや、SNSをやるわけです。「界隈」に入り込んだほうが損得で言えば得で、利益を求める会社としてもそういう行動を個人に期待する訳ですね。

マストドンとかフェイスブックとかSNS色々あれど、何だかんだ使いやすくて界隈にも馴染みやすいのはツイッターなわけだけど、フォローしてる人が容易に覗けたりするのもツイッターな訳です。そういう関係含め知られてもいいor知られたって問題ない無関係の人のツイートを覗いたりするのが俺の期待する"繋がり"なわけで、そこに、どこそこの界隈に入り込んでいくにはこの人フォローして、こういうツイートをして…という戦略が必要になる訳です。

俺はソーシャルでもリアルでもびちゃびちゃにウェットな連中は苦手だし、トランプフォロワーではないのでツイッターで政治や戦略をしたくない。そもそも僕は馬鹿で賢くもない(こいううところはトランプフォロワーなのかもしれない)

いっぽうでそういうことを全く意識せずに、他人におおよそ見せられないようなフォローであったりを隠しながらコソコソとSNS活動を続けていた人が 「君たちには、今からSNSで自己発信をしてもらいます(ビートたけし)」と言われた瞬間、阿鼻叫喚、AV女優やエロ漫画家をフォローしてた過去と今、そして ー未来ー を悔み、昔作って放置していた裏垢()を社会性と透明性あるソーシャル用とし、「これが僕の本垢だけど、僕はあまりソーシャルに興味がないから、いままでのツイートが少ないよ。これからはがんばっていくよ。もちろん、急にこしらえたアカウントじゃあないよ、なぜなら、ツイッタに登録したのは2014年だからね」という体裁を取るのは当然の防御反応なわけであります。

そんな訳でクソブログを読んでおります各位には技術用アカウント

https://twitter.com/tanaka_apart

の存在をお知らせしておきます。

もしも僕がシャバい思想を"連ツイ"するようになったら、「rock 'n' roll is dead...」という低音ボイスとともにスクショ撮っとくとディストピア的な雰囲気が出ておススメです。