予防線

予防線が見えなくなるまでつづける

「君の膵臓をたべたい」と魔法少女論

小説「君の膵臓をたべたい」を読んだのでその感想。

できるならこの記事を誰かと語り合う補助線としたいので、是非記事を読む前に、小説を読んでみてほしいです。

 

予防線

ヒロインが死ぬ。そのよう結末が示されたフィクションを読むのは初めてだった。

意図的に避けていた。死ぬことが分かっているヒロインと一夏の思い出作り、その相手に自分が選ばれる。死が近づくに連れ、思いが高まっていく主人公。やがて物語序盤に提示されたヒロインの死は現実となる(もしくはウルトラミラクルで救われる or 主人公が死んだりする)。

生きること、人はいつか必ず死ぬということ、それまでを精一杯生きるべき。そういったメッセージがドラマチックに述べられて終わる。

このような物語を読んだ時、「俺だって(フィクションとはいえ)、死んでしまう人間と、こんな青春を過ごしたい!!」と、思ってしまう自信があった。その浅ましさに耐えられるのだろうか?

お前が生きている今日は、誰かが生きたかった明日なんだろうか。それは刹那主義の押し付けだ。ブロガー・はあちゅうの苦手なところの一つだ。

今日何があるか分からない、それは実感として分かっている。けれども精一杯今日を生きられない人間だっているし、それが当たり前じゃないか。

 

長々と予防線を述べてきた。

結局のところ何が言いたいのかといえば、住野よる・「君の膵臓を食べたい」を読んだ。そして普通に泣いてしまったということだ。

 

「君の膵臓が食べたい」の印象


「君の膵臓をたべたい」予告

 

「あ〜〜〜〜〜〜〜またヒロインが死ぬ映画の周期がやってきたな〜〜〜〜〜〜^^^^;;」 

僕らの世代で言えば、「恋空」であったり、山田悠介の著作が一時代を作ってきたように、また一つ大衆マイルストーン的作品が出てきたんだなと思っていた。

一方で、ダ・ヴィンチでの評価や、本屋大賞の受賞など気になる要素はあった。

しかし天邪鬼なので、「このカロリーの高い餌にまんまと引っかかってなるものか!!」、そんな印象だった。

読んだきっかけは友人の勧め。彼が気の置けない友人であったのと、「是非語りたい」と強く勧められたことがきっかけだった。

なるほど、面白いかはさておいて、「語り甲斐のある作品」というのは確かにある。「存分に語ってやろう!!そのために隅々まで意図汲み取ったろ!宇多丸ばりのレビューをしたろ〜〜〜!!

そんな気持ちで読み進めた。結果、自分の中で、「語り甲斐のある作品」以上の作品になった。

 

魔法少女

この作品の1ギミックを解き明かすために、何故俺が魔法少女アニメを好きなのか。考えてみることにする。

『……ロボットでもいいし、拳で戦う熱い男でもいいんだけどさ…純真無垢な少女が理屈抜きにめちゃくちゃ強かったら最高じゃね??』

「……わかる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

大筋はこんな感じ。じゃあそれで何故最高なのか?もうちょっと理屈をこねる。

 

魔法少女に良いこと言わせようとしたら説教臭くなってマジで最悪なんだが。アニメの中でまで、女児に説教されたくないんだが。」

『女の子でも知ってるレベルまで落として言わせれば深い感じするし説得力もある。説教臭さも減る。』 

…な、なるほど。

要は、「当たり前なんだけど大切なこと」を純粋さ故に実感として分かっている。なので理屈や言い訳をすっ飛ばして行為で示す。痛快に力強く描く。

近年ツイッターでもよく見る、「小学生がこんなこと言ってたんだが。やばいマジ深い。」イディオムである。

そういうテーマはどの魔法少女物でも多かれ少なかれ通奏低音としてあって、俺は偏屈ゆえにそういう部分に救われるのだと思う。

 

「なまえをよんで」

女児向け枠ではハートキャッチプリキュア、大人枠では魔法少女まどか☆マギカ、プリズマ☆イリヤ、数ある中で最も好きなのは魔法少女リリカルなのはシリーズだ。

シリーズでも屈指の人気回である第一期最終話のタイトルは、「なまえをよんで」である。

詳細は割愛するけど、ある理由で戦っていて敵同士だった主人公・なのはとライバル・フェイトの二人が、後述の「ある行為」をきっかけに友達になるって話なんですけど、まぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜イイんだコレが。

今まで敵同士だった二人が友達になるというシーンなんてのはイイこと言わせようとしたらいくらでも言わせられる。舞台は整っている。

ただ、そこは流石の魔法少女、上の話で言うところの、「女の子でも知ってるレベルまで落として」という部分が「なまえをよんで」という行為に落とし込まれる。

はぁ〜〜〜〜〜〜お前そんなことでいいのかよ〜〜〜〜〜〜で、まぁ泣くんですけど。

 

ヒロイン・山内桜良は魔法少女か?

話を徐々に「君の膵臓をたべたい」にシフトしていきます。

※ここからネタバレを多少含みます。

 

この作品には大きく2つのギミックがある。

そのうち1つのテーマは、冒頭に述べたような、「お前が生きている今日は、誰かが生きたかった明日だ」を推し進めるようなギミック。これについてはとりあえず割愛。

もう1つは、「呼称するという行為の持つ残酷性」について描かれたギミックである。

呼称するという行為には単に「呼びかける為の名称」の他に、「関係性の確認・確立」という意味がどうしても付随する。

例えば、影山という上級生を、「影山さん」と呼ぶのか「先輩」と呼ぶのか、はたまたアダ名で呼ぶのか、影では「アイツ」と呼んでいるのか。名前を呼ぶという行為はそれだけで互いの関係が確立する行為だ。

魔法少女リリカルなのはの場合、2人はこれから友達になる、だから名前を呼ぶ。呼びあうことで関係を確認し、確立し合う。

一方、「君の膵臓をたべたい」の場合、だからこそ名前を呼ばない。2人の関係性を確認・確立してしまうことは残酷でしかないからだ。

だから名前を呼ぶという行為にカタルシスが生まれる。残酷さを乗り越えてなお、関係性を認めた主人公に救われる。

 

「当たり前なんだけど大切なこと」を主人公に気づかせる。乱暴に言いきってしまえば、ヒロイン・山内桜良は魔法少女だ。これは病気によって少女性のあるキャラクターを得てるとも言える。

 

微妙なところ

これまで魔法少女リリカルなのは第一期の最終話が如何に最高かということと絡めて、「君の膵臓をたべたい」のギミックが素晴らしかったということを述べた。 

べた褒めもアレなので、少し気になったところ。別にどれもそこまで微妙と思ってないけど。

 

会話が多め

賛否ありそう。読みやすくていいと思うけど、ちょっとクセのある会話なので苦手なら苦手かもしれない。俺は大丈夫でした。

 

「あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!!!!」

ネット脳なので正直脱糞したかと思った(汚い)。

感嘆符付きの叫びや感情の吐露のセリフが多い。他の作家どうしてんだろって思ってみたら、声にならない叫びを上げた、とかで回避してた。

全体的にラノベっぽいと言われるのはこういう点かな。その他情景描写などは気にならない、というか普通に上手い気がした。

 

病気ネタの多さ

ちょっとクドいけど許容範囲。

 

他人の感想見たら、「病気の設定が稚拙」って感想があったけど、それは医療小説じゃないしお門違いな気がした。

あの伏線回収されてない!!って感想もあったけど、むしろそれ自体が一つのギミックになってると思ったけど。

 

映画化と原作厨

こうなってくると映画まで観て、原作との違いを比べたいというのが原作厨の悲しい性です。わざわざ金を払ってまで、「原作はコレがこうでアレなんだよな〜〜〜〜」って言いに行くのです。なんて醜く可哀想な生き物。

予告を見るだけで、「なるほどね〜〜」となるポイントがあるのですが、予告や又聞きだけで観た気になるなんてのは愚の骨頂です。劇場公開されているうちに観に行ってみたいですね。メンズデーのレイトショーとかで。

 

まとめ

ぶっちゃけ無理ある結論と、記事タイトルなんですが、共通性は確かにあると感じています。

最初に書いているとおり、この記事を誰かと語り合う補助線としたいという思いが強いので、無理に議論をふっかけるようなタイトルにしてみた所存です。

 

「人生を変えるような一冊に出会ってみたいが、人生を変えるのが面倒くさい」

文学漫画「バーナード嬢、曰く」の一文。

序文の心配虚しく、読後、「こんな青春を過ごしたい!!」とはならなかったし、押し付けがましいテーマに流されることも無かった。いつのまにか、娯楽小説は娯楽だと流すことのできるつまらない大人になってしまった。

こんな自分には人生を変える一冊よりも、魔法少女膵臓が何よりもいい薬になりそうだ。

お粗末!!!